ウェブの皮肉屋に、金銭や労力といったコストをかけてくれる人はいない - ARTIFACT@ハテナ系
人は楽しいところに集まる。でも、その楽しいところから勝手に疎外された!と思う人(いわゆる「けまらしい」)は一定数いるから、楽しいところを批判すれば、一定の喝采はあびる。でもその喝采を浴びせてくれた人って、批判者に何か与えてくれる訳じゃない。 具体的にいえば、喝采を浴びせてくれた人たちは金を払ってくれない。だって単に自分が気持ちいいと思える意見があったという確認がしたいだけで、金を払ってまでは欲しくないから。もちろん労力だって払ってくれる訳がない。 ウェブは皮肉屋に一定の注目を集めるけど、その注目は労力や金といった高いコストには還元されないのだ。 賛成ばかりで気持ち悪いから、反対の意見を言ったんだ、皮肉屋はよくそういうが、それには信念を感じられない、賛成されている相手に対する注目を利用した逆張りだ。 僕も、個人サイトを始めたころは、そういう皮肉っぽい言動をよくして、少数からの喝采に、自分は支持されている!みたいに思ったことがある。 しかし、僕がPUREGIRLという雑誌で新しいことをやろうとしたら、すごい反発があった。そういう反発に対して、あれは俺もおかしいと思っていた、よくぞ言ったみたいなことを言う人ももちろんいた。でも、雑誌を買ってくれる人は実際には一杯いてくれた。この人たちは、僕が良いと思う価値観に対して、お金というコストをかけてくれた訳だ。 ARTIFACT ―人工事実― : ネットは多様性を生むという幻想が終わった時代に 昔それについて書いたことがあるが、今回とはちょっと主張が違う。時間が経ってから、改めて主張が整理されたし、コストという概念はいれてなかった。 楽しいところに集まった人たちは、楽しいところを作った人に感謝して、何かしてあげたいと思うという、良いスパイラルができる。 ネガティブな言動は一見かっこいいけど、最終的に何かの否定でしかないから、価値観にならない。ポジティブな言動は価値観を作り、そこに人が集まる。 どっちを選ぶかは人の自由だが、僕は新しい価値観を作って、人が楽しむことをしている人を高く評価する。 今回の件で、人の注目を集める人と、注目を集められない人の差を、改めて思い知った。
インターネットを使う人が知っておくべきこれからのインターネットがもつ秘密:Don't be lame
(Facebookファウンダー)Mark Zuckerburgは『あるユーザーにとってはアフリカで人が死んだことより家の玄関でリスが死にかけていることの方がもっと関心をひく事件だということはあり得る。』とあるインタビューで答えた。そのような思想に則った今日のインターネットとはどのようなものだろうか。
・(その前に)そのようなサービス以前のインターネットは、まさしく世界との繋がりを感じる場であったし、民主主義や社会にとって素晴らしいものであると思っていた。
・しかし、そのような情報の流れはいつの間にか変わってしまっている。
・その変化に気づいておかないと、それはきっと問題になる。
・(私が)そのことに最初に気づいたのはFacebookを見ていたとき。(私は)政治的にはとても進歩的な意見を好む。でもだからといって保守的な人を避けてきたわけではなかった。彼らの意見を聞くのも非常に好きだったし、彼らが(Facebookに)投稿するリンク(情報)も好きだった。とても勉強になるしね。
・だからあることに気づいたときとても驚いたんだ。(私の)Facebookフィードに保守的な友人の投稿が流れなくなっていた。
・真相は次のようなもの。Facebookは私がどのリンクをよくクリックするかを見ていて、そして気づいた。”このユーザーは保守的な友人よりも進歩的な友人の投稿するリンクをよくクリックする”、と。そしてFacebookは私に相談することなく、保守的な友人による投稿が表示されないようにした。
・そして、このようなことをやっているのはFacebookだけではない。Google, Yahoo News, New York Timesなどはみな表示させる検索結果、ニュースの順番をそのユーザーの好みに合わせ、カスタマイズしている。この世の誰に大しても同じ検索結果を表示させるGoogleはもはや存在しない。
・この結果として、インターネットは急速に”あなたが見たいだろう”とインターネットが考えるものをあなたに見せるようになっており、そしてそれは必ずしも”あなたが見なければならない”ものではない。
・このような”Personalization”の技術に取り囲まれて生活するようになると、あなたは正に私が”Filter Bubble”と呼ぶものに囲まれることになる。
・”Filter Bubble”の形はそれぞれのユーザーによって異なっており、その決定権はあなたにはない。そしてより重要なことはそれがどんな情報をはじき出しているのかあなたにはわからない。
・私たちは皆(アフガニスタンに興味がある)勤勉な自己と(Justine Bieberが好きな)怠惰な自己を内面に抱えており、普段からそのバランスをうまくとりながら生活しているが、この”Filter Bubble”はそのようなバランスをあなたがいつも最初にクリックするのはJustine Bieberだから、と崩そうとしてくる。そして、気づいたときにゴシップや音楽ばかりに囲まれ、バランスのよい情報収集ができなくなってしまう。
・インターネットは情報を過去に存在した統制から開放し、自由にしたにも関わらず、近年のインターネットは新たに強力なアルゴリズムという技術が情報を統制し始めている。そして、そのアルゴリズムに過去の情報統制にあったように倫理はない。
・だからこそ私たちはこれからインターネットを使うに当たっては、関連性だけでなく、重要度や難易度の高いものや異なる見方を与えてくれるものを見せてくれているかを確認しなければならない。
・過去、戦時期の情報統制からジャーナリズムがそのような倫理を手に入れたように、これからそのアルゴリズムにもそのような倫理をプログラムしていかなければならない。
・これからのインターネットはしっかりとした倫理やルールやフィルターについての透明性、そしてユーザーへの選択権を与えるものでならない。
・なぜなら、インターネットは新しいアイデアや人々、異なる見方を世界と繋ぐものであってほしいから。
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当たり前じゃね?なんて思ってしまう。
Facebookがどうのこうのというより、Twitterのフォロー制度がそもそもそういう流れ作る温床になってんじゃん。
"●最も面白いコンテンツは「成長」 当ブログのメインテーマである、「ブログ運営論」と「ソーシャルグラフの活用」は、「べき論」を紹介するたけでなくて、当ブログで実践・実証して、過程を公開していけば、エキサイティングだと思いました。
そこで、当ブログのメインテーマを、「『人気ブログをつくる方法』を研究するブログ」に変更しました。このブログ自体が「人気ブログを作る方法を研究する」ための実験台となっているのです。 もし自分のブログに多くのアクセスを集めたい、人気ブログに育てたいと思えば、これから自分が達成したい目標をメインテーマにすると良いと思います。ゴールに向かって勉強したこと、実際にチャレンジしたこと、考えたことを文章にまとめてポストしていくのです。内容は仮説でかまいません。その後、自分で実証していけば良いのです。 目標達成に近づくに連れてアクセスが増えていくでしょう。つまり、自分の成長とブログの成長が同期するのです。人々が本当に知りたい情報とは、結果ではなくて成長の過程です。プロセスです。NHKのプロジェクトXがブームになったのも、プロジェクトの達成までのプロセスを克明に追ったドラマ性にあったのです。 当ブログでは、ブログのPV(ページビュー)数や、はてなブックマーク数、ツイート数、「いいね!」数など、ブログの成長を示す客観的な数値を、積極的に表示して成長をアピールしています。日々の成長そのものもコンテンツにしています。 自分が成長して、ブログのアクセスもアップして、多くの読者に囲まれる状況になれば、さらに別の目標を設定して目指したくなります。まさに、向上心のスパイラルです。この流れをつかんでさえいれば、これからも充実した人生が送れそうです。"
"
私が大学2年生の時でした。
教養科目の間に、専門科目である憲法、民法、刑法のそれぞれ第一部以外に、「法哲学」という科目があったと記憶しています。
だいたいにおいて法学部に進学しようとしているもの、最初から法学部に入学したものは、いわゆる「米のための学問」として法学を学ぶ傾向がありましたし、今でもその傾向は変わらないと思います。
つまり、実学としての「法解釈学」を学んで、司法試験なり公務員試験に臨むのが一般的な法学部生のあり方でした。
私自身も、法学などは「使えてなんぼ」という気持を持っていましたので、法哲学の教授が「君たちは実学としての法学を学びに来ていると思うけど、虚学としての法哲学のバックボーンなくして実学を操れるはずがない」という言葉をあまりにも軽々しく聞いていました。
さらに告白してしまえば、受講生が少なくならないようにPRしているのではないかとひどい邪推までしてしまったものです。
ところが、実学としての法律実務をこなしていくと、次第に自分自身が現実に行っていることが「正義」や「人権尊重」というものに適合しているのだろうか、という疑問に苛まれるようになったのです。
「正義に反することをやるのは弁護士としてあるべき姿ではないのではないか?」「では、正義というものはいったいどういうものなのだろう?」と、次々と疑問が湧いてきました。
プラクティカルな技術だけだと思っていた法学が、突然、自分の日常生活の正当性の有無に関わってきたのです。
慌ただしく過していた弁護士実務を、体調不調でぶっ倒れたて始めてその社会的意義を考えるようになりました。
ご存じのように「正義」という概念は実にはっきりしない曖昧模糊としたものです。
「依頼者に尽くす正義」「依頼者に反してでも貫く正義」「依頼者に反する以上、辞任する正義」・・・おそらく現在の弁護士のあり方としては3番目が正しいこととされているのでしょう。
しかし、「正義」というものの定義がわからないのに、依頼者の要求と比較することができないのが現実であり、最も悩ましいところです。
そのようなことを考え続け、不完全ながら現在の私自身の心境を書いたのが「13歳からの法学部入門」です。
単に、知識を右から左にわかりやすく移すだけでなく、自分自身の考え方を書いています。
もっとも、今にして思えば、もっと違った風に考えられたのではないかという反省もあります。
「不惑」をはるかに過ぎて、いまだに迷っている自分・・・若いではないかと自慢したい気分に時としてなります(^^;)
""人が生きていくのには虚学が必要です。虚学というのは具体的に名指すのは難しいのですが、例えばライプニッツとか、書肆風の薔薇とか、そういった類いの羨望であると私は思います。私は、人は虚学のみで生きていくのだと23歳頃までは信じておりました。実学というものがこの世に存在することを知らずにいたのと、あとこれは臆見以外の何ものでもないのですが、90年代という空気がそれを許していたのです。実学というものの存在を知るきっかけとなったのはコンピュータです。私は23歳の頃に生まれてはじめてパーソナルコンピュータとの対面を果たしたのですけれど、なぜコンピュータが私に実学を知らしめたのかについては、まだうまく説明できないので、今日のところは触れません。ただ、虚学だけで生きていくのは困難で、実学をも吸収していかねばならないのだと、23歳の私は強く意識したのでした。 実学とは何か虚学とは何か、抽象的にといいますと、実学とはみんなを幸せにして誰かを不幸にする実であり、虚学とは誰をも不幸にはしないが自分だけが幸せになる虚です。だから私は人類全部が虚学をやればいいと思っておりました。人類が全部、虚々諤々のうちに、虚学をやれば幸せだと思っておりました。でもそんなことは無理なのでした。人類は私が思っているほどには、虚学というもののもたらす多幸感を享受しないのでした。残念だ。だから、実学が必要とされてきた。"
kyoto-u.com > 談話室 > 法学部・経済学部 > 虚学の方が楽しい
趣味でとどまらせるか、生業にするか。それともグレーゾーンを取るか。グレーゾーンは自分で開拓しなければならないので、余計に先が見えないというジレンマ。
【Real英会話】
iPhoneアプリ:教育カテゴリで1位にもなったことがあるReal英会話。
実際に使ってみたけれど、ゲーム感覚で反復性・継続性も保たれると感じたし、すぐに使える英会話に主眼を置いているからモチベーションもあがっていい。
個人的な利用法としては、レアジョブ前に学習・復習して、レッスンでいくつかReal英会話で得たフレーズを使用していくという、インプット/アウトプットの時間的ギャップのない使用方法。結局英語学習ってこのギャップが問題だと思う。レアジョブとこれを組み合わせたら、今までとは違った、そのギャップを埋められる学習スタイルが確立できそう。とりあえず1カ月やってみようと思う。
大森荘蔵「『後の祭り』を祈る」
浪人時代に触れた東大現代文の問題に使用されていた文章。ふむむ。おれはどこからアプローチすればいいんだろうか。地震に対してもこういうところからなのか。
被災者の方々に心からのお見舞い申し上げます。
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英米哲学界では有名なマイケル・ダメットの「酋長の踊り」という謎解きがある。ある部族で青年が成人するにはライオン狩りでその力を証明せねばならないので、狩り場に二日かけて行き、狩りの後二日かけてもどる。酋長は彼らの成功を祈ってその間踊り続けるが、問題は、狩りが終わった日から青年たちが岐路にある間も踊り続けるというのである。そのとき狩りはすでに終わって事の成否は定まっているのに、その幸運を祈るとはどうしてだ、というのがダメットの問いである。われわれ現代人もこの酋長を笑えないだろう。列車や飛行機の事故の報を聞いた後でそれに乗り合わせた家族の無事を祈り、入学試験の合否はすでに決定済みであることを承知しつつ、なお一縷の望みをかけて祈りはしないだろうか。
しかし、すでに決定済みの過去をいまさら変更しようなどとは誰も思っていはしない。明らかにあの酋長にもわれわれ東京に住む人間にも、過去はまだ決定していない、そして望ましい過去であることを祈る余地、不幸な過去であることを恐れる余地がまだある、こうした思いが心の底にあるのだと私は言いたい。
それはわれわれが堅持していると思っている「決定済みの過去の実在」という信念に走った一筋の亀裂ではあるまいか。この信念の底には、現在からは手がもう届かない「過去自体」という人類に染みついた思いがあると思う。そしてこの「過去自体」という考えこそ、カントが徹底的に批判したあの「物自体(Ding an sich)」の考えそのものか、少なくともその同類近縁のものである。カントの批判に同意する現代の人々は、当然「過去自体」の考えをも批判すべきなのに、これまでそれを怠ってきた。その油断の隙をついてライオン狩りの起こす地震にひとたまりもなく「過去自体」という見かけ倒しの高層ビルに亀裂が入ったのである。ではこのビルを撤去した後にどんなバラックが建てられるのか。
それは私たち人類がその実生活のなかで旧石器のころから営々と実践してきた道を再確認することである。その道の最終段階で「過去自体」や「物自体」の妄想に取りつかれたのだから、この妄想段階をカットしたそこに至る道を確認してそれを再興する、それが私の提案する戦略である。
さて、過去とはどんなことか、過去とはそもそも何なのか、その過去の意味を体験的に教える根幹が想起経験であることを疑う人はいない。想起こそ経験についての唯一の基底的情報源であることは今も昔も変わらない。過去とは想起によって思い出されるアネクドート(逸話)の断片を接続して織ってゆく過去物語りにほかならない。しかし人類はこの情報源が人によって食い違う、必ずしも信頼できないものであることを痛いほど経験してきたはずである。そこで当然、各人の過去情報をスクリーンする公定の手続きをあみ出した。その手続きが長年月にわたる生活のなかでの実践的適用によって修正改善されてきた結果が、現在の法廷や歴史研究、そしてマスコミ報道の中で社会的に合意され実施されている真理条件として、誰にも十分熟知されている。その基本は、複数の人間の想起の一致(証言の一致、ウラを取る)と現在世界への整合的接続(物証や自然法則)である。その具体的内容は裁判所や刑事部屋、それに宇宙論や進化論の学会や教室をのぞけば、そこで毎日展開しているのが見られるだろう。
だがこの真理条件は、最終氷河期の時代の獲物や異性をめぐっての争いや、過去の種まきや収穫についての論争の場で適用されていたものと全く同一の条件であり、その連綿と続行されてきたものである。つまり、過去物語りの真理条件は数学や自然科学の真理条件と同様に歴史的社会的制度なのである。「真理」はアプリオリに天下るのではなく、人間社会の制作物なのである。過去物語りは全て、家庭争議や犯罪捜査といった些細な事件に至るまでこの真理条件の審査を通過しなければ狭くは当時者たち、広くは社会一般の公認を受けられず、過去として公式の登録をされないのである。過去と呼ばれているものは制度化され公式化された過去物語りであることは、古事記、日本書紀の昔から少しも変わっていない。そしてよくあることだが、こうした制度的なものがあたかもわれわれ人間とは無関係にアプリオリに実在して、ほんの時折りわれわれにその姿をかいまみさせる、といった錯覚を生むのである。それが物自体とか過去自体といった妄想にほかならない。
過去自体とはカントが強調したように、物自体と同様に経験的には考えることができず、したがって想像することもできない、それゆえただ妄想することができるだけのものである。
ありていに言えば、過去とは真理条件に沿って制作される過去物語りにほかならない。
初めに述べたダメットの酋長が、すでに過去になっているライオン狩りの成功をいま祈るのは、過去自体という錯覚のもとでは確かにパラドックスである。しかし、そのライオン狩りはその時点ではまだ公認された過去物語りにはなっていないのである。つまり、まだ過去ではないのである。だから好意的な酋長が祈っているのは、ライオン狩りの成功が真理条件をパスして、公認公定の過去となって部族全員に受け入れられることなのである。そこには酋長の善意と好意こそあれ、パラドックスじみたものは何もない。
飛行機事故を知った時点で家族が搭乗していなかった(過去形)ことを願い祈るのも、いまさら「後の祭り」を祈るのではなくて、家族非搭乗の過去物語りが公認されて制作されるように願い祈るのである。答案を提出した後に、合格の採点が出る物語りの公式制作をはらはらしながら待つのは受験生すべてだろう。
これらの人間の行動と心理のすべてが指しているのは過去自体という形而上学的妄想ではなくて、過去物語り制作であることは誰の目にも明らかだろう。われわれの表の建前がかりに過去自体であっても、裏の本音は過去制作なのである。机上の形而上学的空論ではなく、実生活での行動と心情は過去制作なのである。
昨日彼から電話があった、と思い出す想起経験で、厳然として有無を言わせぬその電話の実在性を感じるというのも、多くの人の実感であろう。しかしそれは実は錯覚なのである。それは実は、その電話は所定の真理条件をパスして必ず公式の過去物語りに編入されるに違いないという強烈な確信を、過去電話自体という意味不明の妄想で置換したのである。
そしてカント以後数百年を経た現在もなお、自然科学者の大部分が信じていると信じている物自体の一変型である素朴実在論についても、平行して言えるのではあるまいか。ここで一つだけは言うことができる。現在形実在論にせよ過去形実在論にせよ、実在論というのはみかけほどには丈夫なものではない。丈夫なのは人間の制作(ポイエーシス)した世界物語りのほうなのである。
種を撒く季節
早く成長するようにと合成肥料を与えすぎた植物は、どこか淋しげです。世界には、ゆっくりと息をひそめて入念に準備をしている人が本当にたくさんいます。そういう人たちは、たとえ時間がかかろうとも、立派な実をつくります。そして彼らは大きくなってからも、いつだって新しい小さな種を撒き続け、未来に可能性を残しています。 僕はそういう人になりたいと思っています。 ————————————————— ほんとにそう。 押し付けの言葉による成長には賛成できない。 そもそもそんなの成長でもなんでもないわけで。 ちょっと通じるものがあったから引用してしまった。
シゴタノ! — 「嫉妬年表」は夜作り、朝見直す
昨年から意識してきた『ルサンチマンの克服』だけど、他人が同じことを言っていると自信になるし、見つめなおす契機になる。違和感を感じたら言い訳もせず、目を逸らすこともせず、とりあえず「嫉妬」にカテゴライズすること。「嫉妬」をエネルギーに変換するプロセスよりも、「嫉妬」を認めることの方が往々にして難しいと感じる。
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嫉妬年表とは、鈴木さんが、自分がどんな人に嫉妬してきたかを客観的に見るために作ったもの。自分の年齢をまず書いて、その横に一番嫉妬心を抱いてきた人の名前をずらっと書いてみます。そのことにより、自分がいつ、どんな時、どのようなタイプの人に嫉妬するかが分かったとのこと。嫉妬対象が変わるたびに、それが自分の成長の記録となっていることが分かったそうです。 誰でも、「あの人にだけは負けたくない」とか、「自分はこんなに頑張ってるのに、なんであの人だけが」とかいう、どろどろとした感情を持つことはあると思います(もちろん私も経験があります)。でも、その感情をそのままにせず、自分を成長させるためのエンジンにするか、それとも相手を恨んで終わるかが成長の分かれ道。ペンを手に取って記入することにより、自分を客観的に眺め、冷静な自分を取り戻す手法が拙著の『夢が現実化する「1枚図解」』で提唱するやり方と同じで、勝手に親近感を抱きました。 そこでこの年表からヒントを得て、嫉妬年表をより効果的に使うためのテンプレートを作ってみました。 今回のテンプレートを利用する際のポイントは、あえて「夜」書きはじめるということ。前回執筆した記事「自分の勝ちパターン/負けパターンを知る! 朝の思考癖分析法」では、朝の時間で自分の思考癖を分析すると、余計な感情抜きに客観的事実を持って分析できる、と書きました。しかし今回は「嫉妬」というどろどろした感情だからこそ、それをムキダシにできるように「夜」を利用してしまうのです。 そして、その感情が生まれた後の自分の行動や、その結果どうなったかを、一晩寝かした上で朝見直すようにすれば、今度は「感情」だけでなく「事実」にフォーカスして冷静に分析できるようになるので、嫉妬年表の効果はさらに高まります。
Tumblrってなに?ビギナーのための基礎知識や始め方・使い方 - はてなブックマークニュース
「Like」は後ほど追加された機能で、「Reblog」のほうがポピュラーです。使ってみて、使いやすい方を利用しましょう。
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今の浅さを嘆いたときにふと思い出した高校現代文の文章。
GoogleReaderもライフハックもいいけれど、気付いたら『刹那的存在』になっていないように、日々の自覚・自制・自律が大切だと感じる。
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「世界の最新ニュースがリアルタイムであなたのパソコンのデスクトップに」という広告を見た。もう時代はそんなところまで来たのか、と感心すると同時に、世界中の情報がリアルタイムで流れ込んできたら、私の神経はあっという間に限界を超えるのでは、と考えてしまった。
現代のデジタルネットワーク社会は、光速の伝達速度を目指して、<同時性>を世界全体に押し広げようとしている。情報が、即時的に遅延なく伝達され処理されることこそ、電脳社会の見えざる目標なのかもしれない。私たちの<心性>も知らず知らずのうちに、速度礼讃者に変容していく。
時間のかかる手紙に代わって、瞬時に反応する電子メールを使うこと。書店に足を運ぶ代わりに、インターネット上の電子書店で、検索と注文を瞬時に完了させてしまうこと。分厚い研究書や古典をじっくり読む代わりに、電子テキストでキーワード検索しながら、必要な箇所を瞬時に表示させること。思いついたとたんに、相手の携帯電話に気軽に接続して話してしまうこと・・・・・・。つまり総じて、私たちは欲したときに、瞬時に世界とコンタクトをとり、行動していることになる。
ところで、情報といっても、その速度が情報の価値に大きくかかわるものと、そうではないものの二種類があることを忘れてはならない。
例えば、台風やそれに伴う交通の混乱の情報は、タイムラグがなければないほど価値が高く、速度はこの種の情報にとっては本質的である。そして、昨日出された台風情報は今日のわれわれにはなんの価値もない。
これに対して、文学や思想の古典的資料などは、伝達速度や時間的経過で価値が大きく変化することはない。
この両者はもちろん、従来、情報と知識という形で明確に区別されてきたものである。しかし、あらゆるものが情報化され、ネットワーク上に蓄積・開示されてしまう今日にあっては、<すべては情報>として処理され、この区別は忘却のかなたに追いやられてしまったようだ。
私の個人的な体験にすぎないかもしれないが、自分との対話をじっくりと重ねながら味わったものは、いわば<体得>されたものとして、私に染み付いているが、早分かり方式で仕入れた情報は、私になんの痕跡も残さず、あっという間に消え去ってしまう。三日で覚えた情報は、三日で消え去ってしまうのである。
情報の速度こそが絶対の価値となっている現代においては、<私>は成熟していく存在であるよりは、瞬間的な反応マシン、つまり、情報が入り込んでは流れ出ていく一結節点にすぎない存在になっていくように感じられる。
ハイデガーは時間の本質を<時熟>、つまり、<今>の連続としてではなく、時間性の成熟としてとらえた。
逡巡すること、反省すること、あるいは、熟考、熟練などは、情報のインプットに対して、きわめて膨大でむだに思われるタイムラグの後に初めてアウトプットが生じるたぐいの営みである。これらは瞬間的で切れ切れの今の積み重ねではなく、むしろ時間の成熟によるものだ。
時間がかかる、時間の遅延があることを、すべて<タイムラグ>として否定的にとらえたり、スピーディーであることが、私たちの<豊かさ>を保証すると考えるならば、それは根本的な錯誤であるように思われる。むだな時間を省いて、残った時間で豊かな生活を、と喧伝されながら、その残った時間もすべて、むだな時間を省くという心性に汚染され、<時熟>を味わえないからだ。結局私たちの生活は、テンポ全体が単に慌しく加速しているだけなのである。
<私>が、便利さや速度の幻惑には徹底的に弱い存在であること、しかし、それにもかかわらず、それに身をゆだねることは、<私>を徹底的にやせ細った刹那的存在にしてしまうこと。このことへの自覚は、今日においては決定的に重要であろう。
現代の情報・消費・社会システム全体が、便利さと速さを<豊かさ>と称し、それに向けて邁進せざるをえない以上、<私>は常に情報反応マシン、消費マシンに変形されつつある存在である。だとすれば、<時熟>や成熟の契機は、外から与えられることを求めるのではなく、<私>自身の内側に自覚的に求めていくほかはないのかもしれない。
『速度礼讃から時の成熟へ』黒崎政男
「Add any gadget by URL」に追加できるガジェットを探す方法 - 風見鶏の目
Gmailガジェット、EvernoteやRTMは本読んで入れられたものの、他はどんなのがあるか分からず悩んでたんだけど、やっぱり検索環境が整ってないのね。個人的にbit.lyガジェットとかかなあ、あと入れるとしたら。あんまり入れても重くなってしまうしね。
5.ビジョン(VISION) =組織として理想像 小池勝也の 「コア・ポジショニング」 研究ノート/ウェブリブログ
WHABITATで知ってTenBOOMで理解したVISION/MISSION。
だけどそれに囚われすぎてはダメね。あくまで共有しやすい形に落とし込むことが重要なんだなー。
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次に、「ビジョン(VISION)」のフレームについて考えてみたいと思います。
そもそも、使命(MISSION)とビジョン(VISION)を区別する必要があるのか、
そこに明確な違いがあるのかという議論があります。
勿論、組織によっては、使命やビジョンを区別せずに、組織の価値観を
「経営理念」や「社是」「社訓」といった言葉で、ひとつに表しているところも
多く見受けられます。
繰り返しになりますが、私は、これらの「言葉の定義」そのものを議論する
ことは、余り意味が無いと考えています。こうしたものを定めることの本質的な
意味は、如何に経営トップの価値観や戦略を組織全体で理解し共有するかに
あります。「戦略を理解し共有する」ということは、言い換えれば、組織の
メンバー一人ひとりが、
「事業上の価値判断に用いることができる組織としての基準を持つ」
ということです。
「あなたの組織の戦略はどういうものですか?」と問われたときに、経営の
トップからパートタイムのスタッフに至るまで、全員が同じように説明できる
組織となることが理想です。
但し、説明と言ってもスタッフ全員が、PMSを説明できるようになる必要は
ありません。経営陣や経営企画部門、役職者などを除けば、少なくとも
コア・ポジショニングの部分が理解、共有できていれば良いと思います。
ポジショニング・マネジメントでは、戦略構築の重要な各要素とその思考
プロセスを、できる限りシンプルに言語化、可視化することによって、
上記の目的を達成しようと試みますが、その各要素の中で、「使命」の次に
考慮すべき重要なフレームが、「ビジョン(VISSION)」となります。
PMSにおいては、「使命」を「何のために存在するのか?」という組織の
存在価値を明確に表現するものと位置付けていますが、「ビジョン」では、
その組織の主体的な意志(=使命)を実現するために、組織として
「どう在りたいか?」という問いから、理想的な組織像とはどのような
形態のものかを考えます。
更に、ビジョンを規定するための有効な問いかけには、大きく分けて、
以下の二つがあると考えられます。これは、先の「4.使命(MISSION)=企業
としての主体的意思」の項で用いた図6で、自分たちのビジネスが、どこに
位置するかということにも大きく関わってきます。
■「自らの使命を実現できる理想的な組織像とは、どのような組織か?」
を考えるために有効な質問。
【問題解決型ビジネス志向】
他の組織では解決できない社会的ニーズを、だれよりも上手く解決して
しまう組織とはどのような組織か?
【価値創出型ビジネス志向】
既存の価値観、形態、ルールを覆し、新たな価値観を、だれよりも速く
強力に生み出していく組織とはどのような組織か?
また、ビジョンのフレームには、組織としての理想像と併せて、どうなれば
使命を果たせたことになるのか、組織としての到達目標、目指すべきゴールも
規定しておくことが重要です。
では、具体的なビジョンの例を見てみましょう。「使命」の項でも取り上げた
米国のアウトドア用アパレルメーカーの「パタゴニア」の使命とビジョンの
関係性を考えると以下のようなものになると思います。
■パタゴニアの使命:
最高の製品を作り、環境に与える不必要な悪影響を最小限に抑える。
そして、ビジネスを手段として環境危機に警鐘を鳴らし、解決に向けて実行する。
■ ” ビジョン:
健康な地球環境と共に百年後も存在する企業となる。
補 足 :
拡大と利益を最優先するのではなく、品質、持続可能性、環境
および人間の健全性、調和のとれた共同体を重視し、人間と環境の健康状態を
向上させる製品を作る企業となる。
如何でしょうか、端的な中に、しっかりと使命を実現する組織の理想像とゴールが
表現されていると思います。
テンブーム、合宿!
内容関係ないけどさ。つっきーって文章うまいなやっぱ。
おれ、正直そこまで文章力ないわけじゃないと思ってたけど、文キャンの人の文章読むとやっぱり劣ってるのが分かる。しかも小手先のテクニックやスキルではどうしようもならない”感性”の面で。こういうことを思わされただけでも去年文キャンいてよかったんだろうな。文キャンって授業キツくないし本キャンから馬鹿にされがちだけど、すげえんだよ。自分がいる間は正直な話(役に立たないことばっかだなー)なんて思ってたけど、文キャンを出ていって、初めてその意義というか、上手く言葉で表せないけれど、そういうものを感じた。
無くても困らないけれど、あれば生活を豊かにするモノや考え。
実用ばかりに直走るとそれこそ寂しい人間になっちゃうんじゃないかって最近思って文キャンの友達にいろいろ舞台やら映画やら小説やら勧めてもらってるけど、今までそんなものになかなか触れてこなかったからキツいところはある。軌道に乗るか乗らないかぐらいで揺らいでる。たまに芸術とか金持ちの道楽じゃないの?なんて意地悪く思ったりもするけれどね。それはただの言い訳。
それでも、最初から政経行かずに文キャンに行ったのは、周り道なんかじゃなく、そんなモノに出会うためだったんじゃないかなって思ってる。単位は半分に減ったけど、それ以上のものを俺は得ていると思います。
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先日、テンブーム初となる一泊二日の合宿を行いました。
「仲良くなろう」という主旨のもと、交流だけでなく、たっぷり時間をとって本格的な記事作成への流れを見出す企画です。
一日目の日中は、集まれる人が学生会館につどって、各自謙一から情報共有のガイダンスを受けたり、発行するフリペの紙面を想像しやすくするため小冊子をつくったり、6時限に開催予定の表紙レイアウトプレゼンの準備をしたり。
Web班さんはこの時間、一眼レフ片手に外回りをして素材を集めていたようですね。写真撮影は受け入れてくれる方もそうでない方もいらっしゃるので、会う人ごとに一喜一憂しながらレンズを向けていたみたいです。
6時限になるとみんな集まってきたので、お待ちかねのプレゼン大会をしました。表紙はフリペの顔ですから、和やかな中にもみんな目が真剣です。それぞれが用意してきた表紙案からは、フォントのフォルムや画像のスタイリッシュさを全面に押し出すもの、テンブームの表記に凝るもの、フリペの方向性から「夜明け」や「本、参考書」をイメージさせるもの、テンブームのロゴにも使われている「火」からイメージを喚起させるもの、など様々なものが持ち上がりました。
各自のプレゼンが終わると、品評会です。問題になったのは、「デザイン性を重視するか、わかりやすさを求めるか」ということでした。これは意見のわかれるところで、「プッシュ型ならデザインを見て、(フリペを)もらうかどうか決める」という人もいれば、「本当に受け取ってほしい層が受け取るにはわかりやすい方がいい」という人も。結局どちらにも大きくは傾かず、より具体的なレイアウトを各自もちよって再度もっと建設的で現実的なプレゼンをしようということになりました。レイアウトは冬休みの宿題。
もう夜も更け、ここで場所を学生会館から高田馬場駅前の『自由空間』(漫画喫茶)に移します。さあここからが合宿の本番ですね。はじめは漫画喫茶というもの自体に慣れてない僕など数名は「一泊、に、にせんえん?・・・」とか「の、飲み放題やんけ・・・」という感じで完全に浮足立っていましたが、部屋に入ってコタツに温められるとなんとなく落ち着きもでて、本題にはいりはじめました。
最初は企画たたきです、「一月に行う大学内でのブース設置(アンケート回収などを行う)」や「転部チームの座談会」、それから「武藤君の個人企画」。それぞれにいろんな意見が出ました。やはり人数が集まり時間があると具体的なことが少しずつ詰められるようで、ブース設置の期間も、転部座談会参加者の打診案なども、とんとん決まりました。ただ、武藤君のweb上で行うとされる個人企画については誰も意見できないぐらい期待だけが膨らみました。ちなみにその企画というのは「わらしべ長者こと武藤君(人見知り?)が《わら》を初期装備として、見知らぬ誰かに現状よりちょっとだけ良い持ち物と交換してもらう(最終的にはTシャツくらいになるのを目指す)」というもの。学内で噂になれば、広報としても大活躍。メンバーは「武藤君、いいなぁ。楽しみだなぁ(私は干渉しないけど)」という感じで、みんな温かい目でした。
その後はちょっとだけ(?)休憩をはさんで、レイアウト会議です。事前に用意してあった様々な規制雑誌の記事を参照しながら、これは使える、これは合わない、と吟味しながら出来上がる紙面を一ページ一ページ想像します。その中で紙面の内容も解釈されなおされたりと、もう時間も時間で僕などは眠気と戦うので必死ななか(役に立てずすいません・・・)、かなり建設的な話し合いができました。
話が熱を帯びると時間はすぐに過ぎてしまいますね。合宿とはいえ途中からはだらけて遊び始めるのではないかという誰もが想像したシナリオに反して、議論が冷めやらぬ間に朝でした。冬至ということもあり、まだ陽ものぼらず周りを囲むビルも生気のない、暗いロータリーで解散です。
振り返ると、テンブームメンバーの側面が今までと少しずつ違って見えだした一日でした。謙一がたくさん紐を握ってみんなをつないでいたこれまでと比べ、なんとなくそれぞれが思い思いに動き始めたという感じ。コタツの力かどうかはわかりませんが、なんとなく良い流れを感じました。
具体的な話もまとまりだしたテンブームですが、完成に向けて紙面への妥協をなくしていけるといいですね。
以上、合宿の活動報告でした。
文責:筑井芳行(早稲田大学文化構想学部)


